活動レポート

下町戦跡めぐり2023~東京大空襲を知ろう~

10月15日(日)、今年度2年ぶりに東京大空襲・戦災資料センターにご協力いただき、江東区東陽町からの戦跡フィールドワークと東京大空襲体験者のお話を聞くという企画を開催しました。

現地参加希望には多くの応募がありましたがやむなく抽選し、あいにくの雨の中、現地参加組合員15名と役職員が参加、空襲体験者のお話はオンラインでも実施しました。

 

東陽町駅から戦跡フィールドワーク、スタート!

1945年3月10日の東京大空襲では、江東区でも甚大な被害がありました。今回は東陽町駅で集合し、深川親子地蔵尊、東陽公園、深川高校、江東区役所、六地蔵尊、馬頭観世音を講師の工藤さんとめぐりました。

工藤 芳弘氏(東京大空襲・戦災資料センター運営委員、元中学教師)

工藤 芳弘氏(東京大空襲・戦災資料センター運営委員、元中学教師)

雨の中、ガイドの工藤芳弘さんに説明を受けながら、戦跡フィールドワーク、スタート

深川親子地蔵尊の前で

深川親子地蔵尊の前で

東陽町駅の裏手にある地蔵尊、降りしきる雨の中説明を聞く参加者

深川親子地蔵尊(江東区東陽)

深川親子地蔵尊(江東区東陽)

1945年3月10日当虚大空襲で亡くなった東陽4・5丁目の方々の霊を供養するために、1948年3月の3年忌法要に町会によって建てられました。子どもを抱えた像は少なく、出征中に空襲で娘さんを亡くした石工の寺台光三郎さんが像を刻みました。

東陽公園

東陽公園

三浦哲郎の『忍ぶ川』(1960年芥川賞受賞)には、空襲の傷跡が残る下町の風景が描かれています。(東陽公園から物語は始まりますので参考までにご一読をおすすめします) 東陽公園には空襲で亡くなった人の遺体が集められ、埋められていましたが、後に発掘され、火葬して遺骨を両国の震災慰霊堂に収められました。

東京都立深川高等学校の前

東京都立深川高等学校の前

東京大空襲の時に校舎は全焼し、多くの死者も出ました。終戦後、毎年白木の位牌をおき、追悼してきましたが、「都有地である校内には、いかなる理由にせよ宗教的なものは不可である」と許可を渋る都に粘り強く交渉を重ねて、33回忌を迎えた年に慰霊碑の設立許可を取ったそうです。今でも深川高校の生徒たちが、慰霊碑の周りをきれいに掃除し、献花しています。(※日曜の為校内には入れませんでした)

平和の母子像「希い」・江東区役所前

平和の母子像「希い」・江東区役所前

東京大空襲で犠牲になった人々の鎮魂と平和の大切さを後世に伝えたいという遺族の願いが、10年という運動の結果、1982年3月10日、母子像「希い」(ねがい)というかたちで叶えられました。しかし、猿江公園に設置してほしいという希望は実現できませんでした。現在、像は江東区役所前にあります。

製作者は、当時都立第3商業高校の美術の横山文夫先生です。なお、非核平和都市宣言を求める区民の署名運動が実を結び、江東区は、1986年に12月13日に「平和都市宣言」をしました。

江東区役所から、六地蔵尊・戦災殉難者供養の碑(南砂)まで歩きました。

六地蔵の信仰が始まったのは、平安末期と言われています。東京大空襲で焼失しましたが、1952年頃に戦災殉難者慰霊も兼ねて再建されました。現在は、「六地蔵尊奉賛会」によって守られています。

六地蔵尊のことは、『1945年3月9日あしたのやくそく』という絵本になっています。

そこから、馬頭観世音に向かいました。

江東区砂町、大島、亀戸、深川は、当時運送業者が多く、ばん馬(挽き馬)業者が集中していました。空襲で多くの馬たちが焼死し、戦時中は軍馬として徴用され戦死しました。1953年9月、運送業者が中心になり馬たちの霊を弔うために平和の願いを込めて「馬頭観世音」を建立しました。現在隣接する東京トラック同盟協同組合が管理しています。

東京大空襲・戦災資料センター

東京大空襲・戦災資料センター前「世界のこどもの平和像」

東京大空襲・戦災資料センター前「世界のこどもの平和像」

東京大空襲・戦災資料センター 吉田裕館長

東京大空襲・戦災資料センター 吉田裕館長

雨の中、戦跡フィールドワークにも同行していただいた吉田館長から、戦災資料センターが設立された経緯、これまでの歴史や現在の状況をお話していただきました。 終了後には、参加者へ館内の展示の説明もしてくださり、参加者の理解が深まりました。

空襲体験者のお話

空襲体験者 西尾静子さん

空襲体験者 西尾静子さん

戦災資料センター内を見学中の参加者

戦災資料センター内を見学中の参加者

東京大空襲体験者 西尾静子さんのお話

パルシステム東京では平和政策にもとづき、平和について学び、考えるきっかけの場づくりとして、取り組みを広げています。

 

体験者 西尾静子さんのお話

講師: 西尾静子さん紹介

1939年3月10日生まれ

東村山市在住

1945年3月10日の東京大空襲は江東区深川で被災。

この日は6の誕生日にあたる。(幼稚園年長組)家族は父(開業医)、母と三人家族。

隅田工業高校地下室に逃げて助かる。被災後父母の故郷(岐阜県)に移住して中学2年生の時に東京に戻る。

60歳になってから空襲体験を話すようになった。現在(2014年5月~)は東京大空襲・戦災資料センターで体験を語っている。