活動レポート

2018年度ナガサキ平和スタディツアー

2018年8月7日(火)~9日(木)、戦争の恐ろしさを学び伝え、核なき世界の実現に向けて行動する活動の一環として「2018ピースアクションinナガサキ」(主催:日本生協連・長崎県生協連)に参加し、組合員2名、役職員3名が参加しました。

 

被爆遺構や資料館見学、被爆された方の証言、平和祈念式典参列などを通し、戦争の悲惨さ、核兵器の非人道性を知り、平和の尊さについて考えました。

1日目:原爆資料館・国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館

平和案内人の方の説明で資料館内を1時間ほど見学しました。被爆当時の様子も含め、ここにこなければわからないこともあり、みんな熱心に説明に聞き入っていました。館内では、被爆当時の長崎全景や、長崎に落とされた原子爆弾「ファットマン」、被爆したお弁当箱の展示もありました。

 

隣にある国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館では、原爆で亡くなられた方の名簿が保管されていました。資料館の中庭にある銅像「未来を生きる子ら」のモデルは、原爆投下後に亡くなった二人の少女が荼毘にふされる話が『ふりそでの少女』という平和絵本になっています。毎年、作家の方やボランティアの方々がきているそうです。

【爆落下中心地碑~千羽鶴献納】

1945年8月9日、この上空約500mで原子爆弾が爆発。当時長崎市内は約24万人の人が暮らしていましたが、死者は約7万4,000人、負傷者約7万5,000人に上りました。

 

組合員が折った千羽鶴を献納し、黙祷を捧げました。

【被爆の証言と紙芝居】

 ・紙芝居『「平和」を刻んだ少女』読み手の三田村静子さん

三田村さんは3歳8か月で被爆、そのあと後遺症に苦しんできました。現在は被爆者の体験を紙芝居で伝える活動をされています。

・被爆の証言、早崎 猪之助さん

当時14歳。爆心地より1.1㎞の三菱重工業長崎兵器製作所大橋工場の技術部実験場で被爆。

「8月9日11時11分、そのとき私は上司の指示で『君、この歯車のピンの先を少し削ってくれ。今すぐだ』。

この指示こそが、私の生死を分けました」。奇跡的に生き残り、生き証人、生存者のひとりとして、原爆投下の一日有様の一部始終を語っています。

【平和のまち歩き】

長崎では青少年ガイド、大学生・高校生などによる「青少年ピースボランティア」が被爆地において平和への想いを発信しています。暑さが残る中、公園内を丁寧に説明してくれました。

2日目:平和のまち歩き「山王神社周辺コース」

平和ガイドの案内で、爆心地より600mの長崎医大周辺を見学しました。学生、教師、関係者の895人もの尊い命が奪われました。山王神社の鳥居も爆風により、片側だけが残っています。

【ナガサキ虹のひろば】

虹のひろばは、長崎市民会館で行われた生協の組合員と役職員が参加する生協ならではの企画です。

 

地元、長崎女子高校 龍踊部(じゃおどりぶ)によるオープニングの踊りが行われ、長崎市長 田上富久氏による市長メッセージ、日本生協連専務理事 和田寿昭氏から主催者あいさつ。長崎原爆被災者協議会 田中重光会長からの現状報告、永遠の会による被曝体験の継承報告がありました。

 

また、「2018子ども平和会議inナガサキ」取り組み紹介とアピール文の読み上げなどを行い、最後に被爆者歌う会「ひまわり」の方々の歌「もう二度と」、会場全員で「We Never Forget」の合唱で締めくくりました。

3日目:長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典

戦後73年となる平成30年8月9日、高校生の司会で「長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」が行われました。

 

参加組合員は、日本各地、政界各国からの参列者と、長崎の地で平和への祈りを共有しました。核兵器も戦争もない世界を目指して、平和でありますようにと願います。