お知らせ
あの日をわすれない『はるかのひまわり』~「雄勝りんご生産同志会」からのプレゼント~
2020.9.1
復興と鎮魂のシンボル「はるかのひまわり」
「はるかのひまわり」をご存じでしょうか。
1995(平成7)年1月17日に神戸の街を襲った阪神・淡路大震災で、わずか11歳という若さで犠牲となってしまった加藤はるかさん。
その年の夏、そのはるかさんが亡くなった自宅の跡に一輪の大きな「ひまわり」が咲きました。
地域の人達はそれを「はるかのひまわり」と名付け毎年、その種を絶えることなく植え続けています。
その「ひまわり」は多くのものを失った神戸の人々に、どんなことがあっても生き抜く勇気と希望を与え、やがて、復興と鎮魂のシンボルとして全国に広まりました。
「はるかのひまわり」とのめぐり逢い
その「はるかのひまわり」の種が、パルシステム東京が長年にわたって交流している「パルシステム・秋田南部圏 食と農推進協議会※」参加団体の「雄勝りんご生産同志会」代表の小野田政広さんの手からパルシステム東京へ。
小野田さんと「はるかのひまわり」の種とのめぐり逢いは、交流拠点となっている「ふるさと村山荘」の奥手に広がる森を活用している「森づくりの会」代表の方が、陸前高田へボランティアで赴き、「はるかのひまわり」を被災地に広める活動に参加したことがきっかけでした。
「命の尊さ」「人の尊厳」「人との関りの大切さ」を知る
いつ起こるかわからない災害への備えをしておくことの重要さをあらためて知ることはもちろんのこと、命の尊さをあらためて考えるきっかけとしたい。
災害を風化させてはいけない。未来を担う子どもたちにこそ、語り継いでいきたい。そのような想いから、今年、パルシステム東京が運営する保育園「ぱる★キッズ」の園児たちと一緒に、この「はるかのひまわり」の種を植えることに取り組みました。
そして次の世代へ
園庭に咲いた「はるかのひまわり」。その種を次の子どもたちへとつないで、来年の夏も、再来年の夏も、園庭に燦然と輝く「はるかのひまわり」を見つめ、命の尊さを一緒になって考えていきたいと思います。
子どもたちはやがて「ぱる★キッズ」を卒園していきます。
卒園しても、大人になっても、あの時あの夏、園庭に燦然と輝いていた自分の背丈よりもずっと高い「はるかのひまわり」を思い出してほしいと思います。
そしてあのひまわりのように、周囲を明るく照らし、勇気と希望に満ちた日々を送ってもらうことを祈って、わたしたちはこの活動を続けていきたいと思います。
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※「パルシステム・秋田南部圏 食と農推進協議会」
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これまでの産直交流事業の歴史の中に、更なる安全で安心な農産物の産直拡大とグリーンツーリズムなど新たな人的交流事業をすすめ、併せて新しい食料・農業・農村基本法の成立を受け、生産者・消費者が一体となって環境保全型・資源循環型社会の構築をめざし、美しい自然環境の中で、心豊かな生活空間を創造することを目的に、2006年に設立されました。
参加団体はJAこまち、JA秋田ふるさと、雄勝りんご生産同志会、湯沢市、横手市、羽後町、パルシステム千葉、パルシステム連合会、パルシステム東京の計9団体です。