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平和

2013年度ヒロシマ行動<2/3>

2013年08月13日

<8月5日>

2日目は、1日目に続き、被爆者の証言の聴講や市内に残る被爆遺構を見学。組合員から寄せられた千羽鶴の献納も行ないました。

碑めぐり「被爆柳・本川小学校コース」

碑めぐりガイドの会 恵美勇作さん日本生協連企画の分科会。ガイド歴4年、碑めぐりガイドの会の恵美勇作さんの案内で、本川小学校平和資料館などの平和記念公園周辺の原爆遺構を巡りました。時間を大幅に過ぎながらも、丁寧な説明をしていただきました。

 

護国神社鳥居の脚部 被爆樹木しだれ柳
秒速400m以上の爆風で根本から折れた護国神社の鳥居の脚部。計算によれば爆心地における衝撃波の圧力は1㎡当たり35トンにも達したとのこと。 被爆樹木しだれ柳。被爆樹木は爆心地から2km以内に170本。学校や神社のみ認定されている。 
馬碑 空鞘稲生神社
 本川沿いの木立の中にひっそりと設置された馬碑(輜重兵第五聨隊馬碑)。原爆で、輜重隊の施設は壊滅したが、碑だけが残ったとのお話がありました。  爆心地にほど近い空鞘稲生神社。境内にある鳥居や狛犬には、原爆の熱で焼かれた後が残る。
本川小学校旧校舎外観 本川小学校平和資料館
 本川小学校旧校舎。爆心地に最も近い学校で、女性教師と5年生児童の2人を残し、400名以上の児童と教職員が亡くなった。 旧校舎に設けられた平和資料館。広島市、本川小学校の原爆投下前後の比較写真、資料が当時の惨状を伝える。

 

平和記念公園

企画の合間を縫って、平和記念公園内を見学しました。

広島平和都市記念碑 原爆の子の像
広島平和都市記念碑  原爆の子の像
千羽鶴献納 千羽鶴献納
平和への祈りを込めて、組合員から寄せられた折鶴5,000羽を献納しました。 
爆心地
爆心地跡に建つビル
爆心地にはわずかに案内板があるのみ 

 

碑めぐり「白神社・袋町小学校コース」

日本生協連企画の分科会。碑めぐりガイドの会のガイドの案内で、平和公園周辺の被曝を実感する場所を巡りました。

ジュノー博士の記念碑 清掃活動
戦後すぐに日本に来て、被害のひどさに驚きGHQにかけあったものの取り合わなかったため、赤十字にかけあって薬剤をとりよせたというジュノー博士の碑。 486人の犠牲者がでた市立高女の原爆慰霊碑の周りは、慰霊祭にむけて卒業生が清掃をしていました。
旧日本銀行1 旧日本銀行2
旧日本銀行。お金を守るための頑丈なコンクリートづくりだったため、壊れずに残った数少ない建物の1つ。今では贅沢で使えないような石をふんだんに使っています。それでも窓ガラスが割れて金庫に突き刺さったあとなど生々しく残っていました。
白神社 袋町小学校
白神社(しらかみしゃ)は爆心地から500メートル以内にあるため、被曝狛犬や被曝くすのきなど、被曝したものがたくさん残っています。宮司さんや氏子さんは皆即死とのことですが、たまたま防空壕の掃除をしていた人は奇跡的に生き残ったそうです。 袋町小学校は爆心地に近いため、校舎の外側だけを残して全壊しました。残った校舎に、皆の安否を尋ねるメッセージを残す人、見る人が足を運びました。低学年児童は疎開していたのでいのちは助かったものの、孤児になった子が多数いたそうです。

 

虹のひろば

日本生協連が主催する「虹のひろば」に、全国52生協から1100名が参加しました。

オープニング演奏に続き、日本生協連の浅田会長から「NO MORE 被爆者。次世代へ継承する取り組みを、2015年に開催されるNPT再検討会議に向けて、地域で一人ひとりができることを考え行動に移してほしい」との主催者挨拶がありました。
また、広島市挨拶では西藤公司副市長から、世界で5, 700以上の都市が加盟する平和市長会議が取り組んだ「核兵器の廃絶を求める要請書」署名活動へ生協の組合員から多くの署名が寄せられたことについて感謝の言葉がありました。この署名には、パルシステム東京も2008年11月から翌年3月まで取り組み、26,873筆の署名が寄せられています(関連)。

続く講演では、広島平和文化センター前理事長のスティーブン・リーパー氏から「今の世界は少人数の人だけが幸せになるシステム。 生協は地域を健康にするための組織。その強みを活かして、これからどういう世界をつくるか、よく考えてほしい。 強い日本ではなく、皆と仲良くできる日本を目指してほしい。勝つより協力、コミュニティによって日本が平和文化のリーダーになるよう、生協の成功を願っている」と生活協同組合へ大きな期待が寄せられました。

虹のひろばオープニング 日本生協連会長
オープニング演奏は、広島ジュニアマリンバアンサンブルによる元気一杯の演奏 日本生協連 浅田克己会長
広島副市長 広島平和文化センター前理事長
広島市 西藤公司副市長 広島平和文化センター スティーブン・リーパー前理事長
みんなのひろば 書道でピースメッセージ

<みんなのひろば>
会場では全国の生協や団体が出展。様々な展示や企画コーナーが開設されました。 

<書道でピースメッセージ>
安田女子大学書道学科の学生が手ほどき。平和の言葉を色紙に表現しました。

 

ピースアクションinヒロシマ

ピースアクションinヒロシマ東京都生協連主催企画の被爆者との交流に参加しました。広島医療生協原爆被害者の会の方から、68年前の8月6日の様子が生々しく語られ、参加者へ平和活動の大切さの訴えと、これからに期待が寄せられました。

<被爆証言>瀧本清也さん(写真中央)
「市外で移動中に原爆が落とされた。ピカと光ってドンと、一発しか落ちてこなかったが、東(市内)の方は真っ暗で何も見えなかった。市内に戻って、焼け爛れた人を見た時には幽霊を見たと思った。子どもの死体を初めて見て衝撃を受けた」

<被爆証言>野崎スズ子さん(写真右)
「通学途中に原爆が落とされた。七色の光が光ったのだけしか覚えていない。東京や呉の空襲の話は聞いていたが、広島のはたった一発の爆弾だったということはしばらくわからなかった。被爆した方に『時計をはずしてほしい』と言われたが、怖くてはずしてあげられなかったことを今も悔いている。あの日の光景は地獄絵図だった。私自身も放射能の恐ろしさを知らず、8月6日から9月まで市内に通っていた。9月から熱が出て、お腹が下って、3月まで歩くこともできなくなった。今88歳、今生きていることに感謝している。結婚してからも貧血で調子が悪く、母が看病に来てくれた。3人の子どもに恵まれたが、今も不安はある。 あの日のことを思い出すと言葉が出ない。資料館の写真、絵、本当はあんなものではない。平和の活動をしっかりとお願いします」

<解説>丸谷博さん/広島共立病院名誉院長、広島医療生協原爆被害者の会会長(写真左)
「3.11の津波が土煙を上げて広がって家々をなぎ倒していく映像が、原爆の衝撃とかぶった。以前、米軍が使用した劣化ウラン弾で苦しむイラクから来た医者に『ヒロシマは希望』と言われた。放射線で汚染された都市がこんなにも復興したこと。 広島の復興を誇りに思っている。東北も中東もヒロシマのように復興していくことを願っている。皆さんには、この広島で起きたことを受け継いでいってほしい」


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