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平和

ミャンマー・サイクロン被災者支援カンパ使途報告~ビルマ市民フォーラム~

2010年02月03日

ビルマ(ミャンマー)・サイクロン「ナルギス」被災者支援活動 中間報告書

2010年2月2日
ビルマ市民フォーラム
〒160-0004 東京都新宿区四谷1-18-6 四谷プラザビル4階
  いずみ橋法律事務所内 ビルマ市民フォーラム事務局宛
電話:03-5312-4817 FAX:03-5312-4817
pfb@izumibashi-law.net
http://www1.jca.apc.org/pfb/

 

はじめに

 2008年5月2~3日にビルマを襲った巨大サイクロン「ナルギス」は、死者行方不明者14万人、家を失った被災者240万人という未曾有の被害をもたらしました。

 ビルマ市民フォーラムは、大型サイクロンによる甚大な被害が明らかになってから、在日ビルマ人の民主化活動家とともに被災者緊急支援を呼びかけました。軍事政権下のビルマという特別な国情から、被災者への確実で安全な支援先として救援金を託したのが「ビルマ緊急救援チーム EAT-BURMA(EMERGENCY ASSISTANCE TEAM – BURMA)」です。EAT-BURMAは、2008年5月6日、タイ北西部のメーソットに設立されたグラスルーツの組織であり、サイクロンの被災者、特にイラワジ・デルタ管区(写真1)とラングーン(ヤンゴン)管区の被災者支援に取り組む目的で設立されました。事務局はタイ北西部のビルマ国境に近いメーソットに置き、ビルマ国内の辺境地で移動クリニックなど、国内避難民や医療とは無縁の住民に対するボランティア活動に長年従事してきた経験ある民衆組織の連合体で構成されています。EAT-BURMAの運営役員には、アジアのノーベル賞といわれるマグサイサイ賞や日欧米から数多くの人権賞を受賞しているシンシア・マウン医師も関わっており(写真2)、そうした経緯からも、EAT-BURMAはビルマ軍事政権による影響の及ばない自由な被災者支援活動に対する期待を込めた救援金が集まる背景となっています。

(現地の支援活動を確認するため、2009年3月末にビルマ市民フォーラム運営委員の山本宗補が、メーソットにあるEAT-BURMA事務局を訪ね、これまでの支援内容の確認と今後の活動展開について話を聞いてきました。この報告書はその時の解答と、その際にお借りした支援活動の現場写真、およびEAT-BURMAの報告書(EAT-Burma Phase Two Term One Report/2009年2月6日)に基づいています。山本はEAT-BURMA代表のマンマン氏(写真3)と、ビルマ国内の被災地で支援活動を直接指導した3名のチームリーダーに会い話を聞きました。3名は37歳の女性Aさん、58歳の男性Bさん、50歳の男性Cさんです(彼らの身の安全上、名前・顔を明らかにできないことをご了承ください。また、被災地での活動写真も、チームメンバーの写るものは、今後の活動に支障が起きる可能性があるため、添付は見合わせました)。

イラワジ・デルタ管区の様子
写真1.イラワジ・デルタ管区の様子

シンシア・マウン医師
写真2.シンシア・マウン医師

EAT-BURMA代表のマンマン氏
写真3.EAT-BURMA代表のマンマン氏

EAT-BURMAのサイクロン被災者支活動

「5月の二週目から現地に入りこれまで5回被災地とEAT-Burma事務所(タイ・メーソット)」を往復して支援活動をしました。サイクロン直後はどこへ行っても人々は悲しみに打ちひしがれていました。被害者は、カレン民族の仏教徒だろうとクリスチャンだろうと、ビルマ民族だろうと、誰もがです。牛、水牛、ブタ、鶏、アヒルなどの家畜に犬も人とともにみな死んでしまった。早朝の雄鳥の鳴き声がまったくない静寂なことからもよくわかりました。」チームリーダーBさん(58歳)

「支援活動は主に郡境の村々。どこからも救援がほとんど届いていない村を対象に活動しました。ラブタからボートで6時間のビルマ人とラカイン人の村は3,000人の住民のうち、生き残ったのが500人ほどでした。3ヶ月後に行ったら、死体がほとんどそのままでした。ボーガレからボートで40分の約1,000人の村も全滅に近い状態でした。」チームリーダーAさん(37歳)

 EAT-BURMAがこれまでに支援活動を行った地域は、イラワジ管区とラングーン(ヤンゴン)管区の2管区です。緊急援助段階(フェーズ1)では、米や飲料水や食糧、衣類、シェルター用の資材、移動医療活動を行い、復興援助段階(フェーズ2)では引続き各種復興支援・生計建直し支援プロジェクトを行いました。当初は44のチーム(1チーム5~6人のメンバーで構成)が被災地各地で支援活動に従事しましたが、フェーズ2からは29チームが従事し、地元の様々な共同体や宗教を基盤とした組織(仏教寺院等)との緊密な連携を通じ、被災者支援ネットワークを構築しながら支援活動を行いました。

パルシステム東京様からの支援金 48,000名の支援へ

 パルシステム東京様からの支援金2,442,145円のうち、半分にあたる1,098,909円はフェーズ2の第1段階(2008年8月1日~2008年10月31日)の活動資金の一部として、食料や水などの緊急支援物資、復興のための生計手段の品々(農機具、魚網、小船など)の配布に使われ、被災地20タウンシップ(121村)及びタイ・ビルマ国境地域の被災者、合計約48,000名が受益しました。この報告書では、その支援内容につきご報告いたします。

フェーズ2(第1段階)での主な支援内容と対象者数
米や食料の支給 42,553人
子どもたちへの教育支援 501人
生活支援 1640人
農機具等の生活支援 922人
住 居 772人
保健・衛生品支援 1391人

 フェーズ2の復興支援活動では、被災者からの支援要請の最たるものが舟と漁具、つづいて農機具や水牛・牛などの農耕用家畜といった日々の生活・生計の建て直しに必要なものでした。したがって、特に「生計支援プロジェクト」、「教育」、「保健衛生」の3つに重点を置いて支援活動を行いました。こうした被災者からの要請は、昔から農業や漁業を営み生活していた被災者自身が、援助に依存せずに自立した生計を早期に再建するための支援を切実に望んでいることを示しています。

1.子どもたちへの教育支援 ― 501人へ

 フェーズ2・第1段階の全期間を通して、教育分野への支援要請は多くよせられました。そのためEAT-BURMAでは学校と直接やりとりをしながらニーズを把握した上で、学用品、食糧、教師の給料を提供したり、寄宿舎とも直接関わりながら寄宿舎の建て直しや食事の提供を支援しました。また各家庭にも学費や制服・学用品を購入するお金を援助しました。

お寺学校で勉強する子どもたち1

お寺学校で勉強する子どもたち2
お寺学校で勉強する子どもたち(クンチャゴン郡)

2.生活の建て直し ― 漁業用品・農機具等の生活支援 922人へ

 フェーズ2・第1段階では、生活支援が援助の大部分を占めました。被災者からの支援要請で最も多かったものは漁業用品で、つづいて農機具と農耕動物でした。今回の被災地には漁業を営む人がたくさんいたため、ボートや魚網をすべて失ってしまった被災者に対して、小さな船と漁具を支援し出来る限り早く生活を立て直せるよう応援しました。

船をうけとる漁師
船をうけとる漁師(ボーガレ郡)

小船の支給をうけた3家族
小船の支給をうけた3家族(ボーガレ郡)

魚網の支援をうけた漁師
魚網の支援をうけた漁師(ラプタ郡)

魚網の支援を受けた家族(ラプタ郡)
魚網の支援を受けた家族(ラプタ郡)

農家が多い村には耕運機を支援
農家が多い村には耕運機を支援

3.安全な水の確保

 乾期の到来にあたり、フェーズ2のプロジェクト期間では安全な水源を確保できるかどうかが非常に大きな心配事項でした。通常なら乾期に水源として用いられる池は、サイクロンでの海水と死骸によって汚染されており、時間と支援のキャパシティに限りがあることからどうしても雨期が終るまでにこの汚水を浄化することができませんでした。被災者はいくらかの雨水をプラスチックの容器や袋に溜めて蓄えることができたとはいえ、乾期を乗り切れるほど充分な量ではありませんでした。新しく井戸を掘ろうとポンプを用いてみても、汚染された水ばかりで、きれいな水が沸いてこない地域もありました。

支給した排水ポンプで貯水用池の汚水をくみ出している様子
支給した排水ポンプで貯水用池の汚水をくみ出している様子(ラプタ郡)

4.住居の建て直し支援 ― 772人へ

 「死体は遠く離れた地域に強風と波で流され飛ばされて集まっていました。そのために、身元はわかりようがありませんでした。死体が埋葬されていても、臭いが耐え難いほど強烈でした。チャイラ郡とモーチョン郡は死者は多くありませんでしたが、全てが破壊しつくされていました。そのため、私たちは家の再建に力を入れました。伝統的な家の資材である竹、木、ヤシの葉を屋根材につかい再建しました。緊急用に一時的に作ったプラスチックシートの屋根のままでは、日中暑くなりすぎて耐えられないほどになります。ある幼稚園の場合はまだプラスチックシートのままでとても我慢できませんでした。サイクロン直後と今はほとんど状況は変わっていません。」チームリーダーBさん(58歳)

建設資材を受け取り喜ぶ被災者
建設資材を受け取り喜ぶ被災者

おわりに

 軍事政権下のビルマでは、被災地の隅々まで支援活動を自由に行うことが難しい状況にあります。EAT-BURMAでは、支援対象を国際的な援助などが届き易い大きな市や町などではなく、とりわけ、道路網による交通路がないイラワジ・デルタ地帯で、水路が迷路のように張り巡らされ、ボートで数時間移動しなければたどりつかないような、ある意味で見捨てられた辺境の村々を支援対象にしています。EAT-BURMAによる復興援助は、一般には目に見えにくい、奇跡的に生き残った被災者から最も望まれる地道な支援活動です。今後も、EAT-BURMAが、これまでの支援ネットワークを生かし、引続き被災者の持つ、「生きる力」や「助け合いの精神」を財政的に応援し続けることのできる支援が求められているのではないでしょうか。

 ビルマという国の事情を理解してくださり、このようなEAT-BURMAの支援活動を大きく支えてくださったパルシステム東京さんに、心より感謝申し上げます。

 温かいご支援、本当にどうもありがとうございました。

以上

 

チームリーダーの紹介

 

◆チームリーダー Aさん(37歳)
Aさんはサイクロンから二週間後に現地入りし、これまで3度に渡って現地に入り、ボートに寝泊まりしながら救援活動をした。2~3のチームをまとめるチーム・リーダーである。

◆チームリーダーBさん(58歳)
6人のチームのリーダー。奥さんと4人の子どもがビルマのカレニー州に住んでいるが、サイクロン支援の責任ある仕事のために、家族の元には帰れない。「救援のやり方次第で自分が当局に捕まる可能性がある。戦術が重要になってくる。」と、被災地での活動の難しさを話す。

◆チームリーダーCさん(50歳)
ラプタから舟で5時間かかる、ラプタ郡のある離島のキリスト教カレン民族の村出身。職業は牧師。村人約200人のうち、大人と子どもで約30人が死亡もしくは行方不明となった。遺体は10体見つかっただけ。本人の家族6人のうち、52歳の妻と20歳から10歳の娘3人をサイクロンで失った被災者の一人でもある。サイクロン当時、本人はビルマ東南部のテナセリム管区最南端の町、コータウンに仕事で出張していたために助かり、約1週間後に村に戻った。行方不明となった家族4人の遺体は見つからなかった。家の跡形も残っていないという。2008年12月からEAT-BURMAの活動にチームリーダーとして参加している。

 

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